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神話的な造り手 ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの全貌に迫る

ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)のワインは、愛好家が最後にたどりつく終着点です。ワインを超えた神話的な存在と言ってもいいでしょう。ヴォーヌ・ロマネ村にある1.8ヘクタールの畑の十字架の前に立てば、だれもが霊感にうたれます。グラスを傾ければ、輝くような透き通ったルビー色と、かぐわしいアロマに魅惑されない飲み手はいないでしょう。

世界最大のワイン検索サイト「ワイン・サーチャー」が、検索数に基づいて選ぶ「世界で最も高価なワイン」のトップは常にロマネ・コンティです。「世界で最も探されているブルゴーニュ」のトップ10にも、毎年のように6つのグランクリュから生まれる赤ワインがランクインします。

なぜそこまで人気を集めるのか?
その理由を知るにはまず歴史から知る必要があります。

13世紀までさかのぼる
ロマネ・コンティの歴史

ブルゴーニュの畑を修道僧たちが開拓したのはよく知られています。ベネディクト派修道会のサン・ヴィヴァン・ド・ヴェルジィ修道院は、1232年、「ル・クルー・ド・サン・ヴィヴァン」の畑を手に入れます。後に、ロマネ・コンティ、ロマネ・サン・ヴィヴァンと呼ばれることになる畑です。

クルー・ド・サン・ヴィヴァンの畑は、4つの隣接するクルー(cloux 現在のclos)で構成されていました。17世紀前半、クルーの1つクルー・デ・サンク・ジュルノーと隣接する3クルーの畑がラ・ロマネと呼ばれるようになりました。この隣接する畑がリシュブールです。ロマネは周辺の最高級銘柄の5-6倍の値段で売られるようになっていました。
コンティ公ルイ・フランソワ・ド・ブルボンは1760年、ロマネを購入しました。贅を尽くした社交生活を送っていたコンティ公は、畑から生まれるワインをパリにあるタンプル宮殿で開くパーティで、上流階級の人々に供しました。コンティ公の身近な人々しか飲めなかったため、後にロマネ・コンティと呼ばれるワインはこの頃から既に神秘的なオーラをまとっていました。

 コンティ公とともにロマネを欲しがっていたポンパドール夫人が、悔しさのあまり、宮廷からブルゴーニュを一掃し、シャンパーニュしか出させなかったという逸話がありますが、これは後世に造られた真偽不明の伝説と言われています。

13世紀までさかのぼるロマネ・コンティの歴史

18世紀から
ラ・ロマネ・コンティの呼び名

フランス革命を経て、教会と貴族の所有していた畑は国家に没収されました。1794年、ラ・ロマネと、現在のヴォーヌ・ロマネ村の外れにあるラ・ゴワイヨットの畑は、パリに住む園芸家が競売で落札。ラ・ロマネ・コンティと呼ばれるようになったのはこの時からです。

ロマネ・コンティの畑は1869年、ジャック・マリー・デュヴォー・ブロシェに売却され、1912年にジャック・シャンボンとマリー・ドミニク・ド・ゴーダン・ド・ヴィレーヌの手に渡ります。この時に、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティという名称が登録され、ド・ヴィレーヌ家の歴史が始まります。

グランクリュしか世に出さないDRCが1999年、2番果からヴォーヌ・ロマネ・プルミエクリュ・キュヴェ・デュヴォー・ブロシェを生産したのは、例外的なヴィンテージにドメーヌの創設者にオマージュを捧げるためでした。
 ちなみに、ブルゴーニュで所有者の名前を冠した畑は、ロマネ・コンティとクロ・デ・コルトン・フェヴレイだけです。

ド・ヴィレーヌ家とルロワ家の共同経営

2度の大戦で疲弊したブルゴーニュは1960年代まで、厳しい状況が続きました。第二次大戦中には、販売代理店だったジョゼフ・ドルーアンに一部を売却しようとしたほどです。モノポールだったロマネ・コンティやラ・ターシュの畑が、クロ・ド・ヴージョのように分散するのを怖れたDRCは1942年、法人化され、オーセイ・デュレスのワイン商アンリ・ルロワとエドモン・ド・ヴィレーヌが共同経営者となりました。現在まで、ルロワ家とド・ヴィレーヌ家が共同経営する体制が続いています。

74年、ラルー・ビーズ・ルロワとオベール・ド・ヴィレーヌが共同代表取締役に就任しました。77年には、ブルゴーニュで初めての選果台を設置し、品質を向上させます。78年、85年、89年、90年と優良なヴィンテージを生み出しました。91年にラルー・ビーズは解任。姉ポーリーヌ・ロックの長男シャルルが代表となりましたが、交通事故で亡くなり、弟のアンリ・フレデリック・ロックが後を継ぎました。ロックは2018年11月に病気で亡くなり、後任にはいとこで、ラルー・ビーズの1人娘ペリーヌ・フェナルが就任しました。

現在はオベール・ド・ヴィレーヌとペリーヌ・フェナルの2人が共同経営しています。

ド・ヴィレーヌ家とルロワ家の共同経営

2016年にビオディヴァンの認証/
伝統的な全房発酵と新樽100%熟成

1985年からオーガニックを始めて、90年からビオディナミに転換。2016年にビオディヴァンの認証を取得しました。オベール・ド・ヴィレーヌはビオディナミの導入はフィネスを高めて、畑の個性をより明確に表現するためだと語っています。

DRCの醸造は伝統的なスタイルです。開放式桶で発酵。全房発酵を導入し、スパイシーなうまみとエキスのたっぷり詰まった風味に仕上げます。ともすれば青くなる全房発酵ですが、その比率は常に60%を超えています。熟成は新樽100%。月齢に合わせて瓶詰めします。

DRCは2009年からコルトン、2019年からコルトン・シャルルマーニュを生産しています。コルトンはプランス・フローラン・ド・メロードから3区画を借りて、コルトン・シャルルマーニュはボノー・デュ・マルトレから畑を借りています。

7つのグランクリュを含む自社畑は
28ヘクタール/
50年近い平均樹齢
30ヘクトリットル台の低収量

自社畑は、ヴォーヌ・ロマネの6つのワインとモンラッシェを合わせて計28ヘクタール。すべてグランクリュで、樹齢は高く、収量は豊作の年でヘクタール当たり30ヘクトリットル台。難しい年には20ヘクトリットル前後まで下がります。厳しい選別を行い、ドメーヌの名に恥じないワインを出すためです。総生産量は年間10万-11万本。自社所有畑の面積と樹齢は表の通りです。

ド・ヴィレーヌ家とルロワ家の共同経営

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